Author Archives: asmile

自然にやれば、嫌らしい、とは言われない。女たちは、けっして触られるのは何がなんでも嫌、とは言っていない。すぐに触るから嫌、と言っているのは、あれはうまく触らないから嫌、と言ってるだけだ。では、女はどういうふうに触られると喜ぶかといえば、肩を抱く、というのがひとつある。歩いていたらふいに車が現われたというような時、とっさに肩を抱いてもらうと、この人は危険かぬ〈ら私を守ってくれたという信頼感が湧いてくると同時に、肩にかかった手の温もりがジワッと全ひじあい目に遭うからだ。モテまくるには、才能と努力が必要だが、ちょいとモテるためのコツみたいなものを、ひとつふたつ覚えるのは、そんなにアプリ 出会い系 を使えば面倒なことではないだろう。私に言わせれば実に簡単、モテるにはただひとつ、相手を喜ばせること、もう、この一言に尽きる。「しかし」と、モテたことのない男は言うだろう。「どうやったら喜ぶのか分からない」と。分からないのなら、努力するしかない。女をよくよく観察して、いったいどう扱われると喜ぶか、じっくり研究するのである。女になった気でやる。これは学習である。女になるなんて、そんな女々しいレベルまで自分を引き下げるのは嫌だ、なんて言っていてはモテない。モテることこつぜんもテニスやギター同様、学習あるのみだと忽然と悟らなければ、モテの技術は習得できない。技む術の習得に自尊心なんて邪魔なだけ。裸になって無になってかからなければモノにはならない。ただし、テニスやギタ同様、モテにも才能というものが関係してくる。モテの才能とは、女を見たとたん、その女が何に喜ぶか瞬間的に察知できる能力だ。そしてこの才能もほかと同じく、女が好きなら一層磨かれる。しかし、そういう才能に頼れない場合は、ただただ努力するしかないのである。第九章か危険なオスの匂い。の漂う男||徹底して賛肉を殺ぎ落とした内田裕也の存在感’-・・・・・・・・園田’存在感だけで女が参ってしまう男七0年代初め、経営していた青山ロプロイを軸に、私は音楽的な試みをいくつかやりだした。店に出ているミュージシャンで、これはと思うグループのコンサートを企画したり、プロデュースをしたり、というようなことだ。また、原宿に友人たちと音楽事務所を持ち、ジャズだけでなくロクも手掛けだした。なぜロックにまで手をひろげたかというと、当時の音楽の流れがそうなっていたからである。

裕也大明神は、兄に対する屈折した心を持ちながら大きくなり、ロックの世界で爆発することによって自分を解放し、一方、安部直也は、ヤクザ社会へ走ることによって、兄の呪縛から逃れた:::、というふうに私は見ているのである。いずれも、女にはかなり分かりにくい心の動きだ。だが、彼らには、それぞれ必然性も言い分もあるに違いない。内田裕也の兄がどんな仕事をして、どんな地位にいるのかは知らないが、弟をして、ロックというマイナー音楽の世界で暴れざるを得ないようなプレッシャーを感ザしさせるとは、そうとうスクエアな人間だと思うが、どうだろうか。スクエアな兄に対抗するには反対へ走るしかない、と考え、そこで彼は「暴れ者」となり、自分を表現するようになっていったに違いない。飛び降りられる男・飛び降りられない男ところで裕也大明神が、庖丁を持って殴込みをかけたことについてだが、たった一人でああいうことをやるには、ひじように度胸がいる。そういう度胸は、かなり場数を踏まなければ出るものではない。見たところ、ひと皮剥むけば意外に気の小さいところがあるようにも思えるが、いったい、いつ、彼はそういう度胸を身につけたのだろうか。最初に大人同士の喧嘩をしたのは、いくつの時だったんだろうか。男の喧嘩というのは、女と違って口ではなく腕力を使うから、最初はさぞや怖かっただろう。今の彼は怖いものなしのように見えるが、最初の頃は、足が震えるほど怖かったに違いない。少年時代は、どんな男でも、けつこう取っ組み合いの喧嘩をするものである。ただし、これは小犬がジャレているのと同じで、怪我をしても、せいぜい赤チンでなおるような程度である。しかし柄が大きくなると、怪我も赤チンではすまない、ということが分かり、またそれ以上に大人気おとなげない、と思い始めるから、自然やめてしまう。ら〈いん大人になっても、まだ取っ組み合いをやっているようでは、「乱暴者」の熔印を押されて、敬遠される。そのうえ大人の喧嘩は、もしかしたら命にかかわることもあるかもしれない。相手が凶器でも持っていれば、なおさらその危険性は高くなる。そこで、大方の男は、あとをも見ずに一目散、ということになるのだが、女にしてみれば、なにか危険が追った時、いつも逃げてばかりいる男じゃ頼りなくて困る。すぐに喧嘩をふっかける、というのも論外だが、逃げてばかりでは、もっと話にならない。売られた喧嘩を、必要なら買う、という度胸のある男でないと、女は男として認めたくない。女は力で闘うことはできない。

おれひとりが日本のロックのためにがんばっている。それなのに、大手の音楽産業は金になる外国人有名タレントばかり呼んで、日本の若手を育てることをしない、という怒りが、始終、彼の体の中でくすぶっていたのだろう。ほうちょう底丁片手に殴込み、というのは、直接にはほかに原因があるらしいが、底には、そういう、マイナーなものへの思い入れ、というのがあったことは間違いない。では、どうして彼がそういう反骨精神を持つようになったか、ということだが、これに関しては、中村とうよう氏は、彼の兄や姉の存在が大きく影響しているのではないか、と言っている。内田裕也は、神戸の、かなりいい家の生まれで、その兄や姉はいずれも優等生、彼はいつも兄や姉に劣等感を抱きながら過ごしてきた、というような事情があったらしい。兄を超えようとするデキの悪い弟なんだか似たような話が、と思ったら、彼と仲のいい安部譲二も同じような環境で育っている。そして二人ともアウトローになっていった。デキのいい兄というのは、男の人生にかなり影を落とすようである。女にとって美人の姉というのが、男にとってのデキのいい兄、と同じ役目をするが、まあ、女はだからといってズベ公になったりはしない。男はその点、ヤンチャなのである。Hデキのいい兄とくると、どうしてもHデキの悪い弟μと続けたくなるが、私の周りには、むしろH兄の影響下から、いつまでも抜けだせない弟のほうがたくさんいる。彼らは、いずれも何かというと兄はどうだつたこうだった、と言う。そして何か困ったことが起きると兄に相談に行くのである。なかには、自分の考えというのは何もなくて、兄の考えがすなわち自分の考え、というような男さえいる。こういうタイプは、安部譲二や内田裕也のようにはならない。兄を超えようという気持ちが最初からないのである。兄と同じ道を歩けば、負けるのは分かっている。ならば、ほかの道を、というようなことも考えない。兄を尊敬する、というのはいい。だが、なんでも兄に頼る弟というのは、実は自分では責任を取りたくない、つまり、いつも逃げの姿勢でいる人間なのだ。私は、こういう男を見るとイライラして灰皿を投げつけたくなるが、本人はみっともないなんて、きらきら思ってないから始末におえない。ともかく、私はH兄の影響下から抜け出せない弟よりHデキのいい兄を超えようとするデキそして、のほうが好きである。な勾やその典型を内田裕也と安部直也(安部議二の本名)という、偶然同じような育ち方、名前の最後に同じ「也」という字を持つ二人に見るのである。

彼の怒りは、こんな説明では収まるようなものではな私は彼のロッ夕、それも日本のロックへの思いを、さんざん聞かされている。ジャズの店へやグへの思いを述べる、というのも変わっているが、とにかく七0年代から、彼は日本のロックをなんとか盛り上げようと、火を噴きながらがんばっていた。私はその頃、ライブハウスにもっと面白い音楽を入れたい、と思っていた。ロックに目を向けだしたということもあり、ここでジャンルの壁を取り去ってみたら、面白い音楽ができるかもしれない、と考えていた。だが、それにはミュージシャンに問題があった。彼らは、自分がやっている音楽から一歩も出ょうとしないのである。つまり、クラシクは譜面しか見ていないし、ジャズは色気無視、ロックは大音響だけ、という態度をかたくなに守り通して崩そうとしないのである。そして各ジャンルとも、他のジャンルと一緒にやろうとしない。十年一日のごとく、同じことを同じ仲間とやっていて満足しているのだ。だから、たとえばギタ中心のロクに管楽器を加えようとしても、管楽器のミュージシャンはロvク畑にはおらず、ジャズから連れて来なければならない。ところが、ジャズの連中は、ロそこで、私はロックの大将と知り合ったのをいいきっかけに、協力を頼もうとした。ところが、彼は即座に首を横に振った。「おれは根っからのロッカーだ」と、彼は言う。「ロックはロック、ジャズはジャズ、二つが混じり合うことなんてない」「でもそれじゃ、管楽器はどうするの?ロクには、まともにトランペトやサックスをあやつれる人はいないじゃない」「今はいなくても、そのうち育つ。ジャズのやつらには、けない」ものすごく頑固だ。結局、彼の協力は得られなかったが、そのロックに賭ける情熱には迫力を感じたのだった。その頃、彼がやろうとしていたのは、毎年コンサートを開催し、時間の許すかぎり、どんなバンドでも出した。だが、コンサートを聞くのは、私も経験があるから知っているのだが、そして満員になったからといって、必ずしも黒字になるとは限らない。ロックのトランペットやサックスは吹マイナーグループを世に出すことであった。そのためにかなりの資金がいる。キョ彼はそれでも、とにかく方々から金を集め、コンサート活動を続けていたのである。陰でバッ彼にしてみれば、金もないし徴力なひとりの男が、日本のロック界で孤軍奮闘している、それを、多少ともロックにかかわっている連中なら応援するべきだ、という気持ちが強かったに違いない。

仕方なくすわっているうちに、ようやく大明神がお出ましになった。楽器の音ばかりがピンピンに響いてきて、何を歌っているのか全然聞こえてこないが、「--」というのだけは、さかんに耳に入ってくる。もう気分の悪いのを通り越して貧血を起こしそうである。見ると爪が紫色に変わっている。|||ヤパイ!私は横の男の手を振り放して会場を飛び出した。あと、彼がどうなったかは知らない。音楽は耳でなく胃袋で聴くもんだ、ということをこのとき知った。殴込み内田裕也は、しょっちゅう怒っている。時と場合で対象はさまざまだが、頭の上に立っているH怒りのアンテナ“”が刺激を受けると、彼はすぐに怒り・だすのである。しかも、このアンテナがめちゃ高性能ときているから、怒りの種は毎日ひきもきらず、ということになるのである。そしていったん怒りだすと、普段のぶっきらぼうな物言いに殴りつけるような荒々しきが加わって、迫力は満点になるのであった。これを、みんなは陰で裕也節と呼んでいた。彼が怒りの叫び声を上げはじめると「そら、裕也節が始まった」と言いながら逃げだすのである。日本のロあるいは、「ニュミジvク系に王座を奪われたあせりが、彼を行動に駆り立てた」ク界のドンである彼は、怒り続けたあげく、ついに、たった一人で庖丁持って音楽事務所に殴り込む、という事件を起こした。こういうのは、私は主義主張に関係なく快挙であると思う。権力にぶつかっていく元気はいい。やっぱり男はこうでなくちゃ。この事件は新聞にも報道されたから知っている向きもあるだろうが、新聞はどれも(といっても私の読んだのは三紙だが〉、なぜ彼がそんなことをしたのか、その動機を正確には報道していない。しかし、あの事件には、彼がこれまでやってきた仕事の質や量、そして彼の性格、生活、ひいては生立おいたちまでが、すべて凝縮されていたのである。ちょっとあらましを書くと、「八三年六月十日、内田裕也は、青山にあるウド音楽事務所に、ひとりで現われた。そして底丁を出してみせ『なぜ当事務所は外人のロか』と強く抗議した。連絡を受けた赤坂署は、ただちに彼を逮捕した」yクコンサートばかりをやり、日本人のはやらないのこれだけである。そして、彼が、なぜこんな行動に出たかという理由について、新聞は、「かねてウド音楽事務所が、外人ばかり優遇するのに不満を感じていた」しかし、これはかなり的を外れている。

いろいろな人が集まってきて、仕事を通して生まれたさまざまな交流の輪は、どんどん広がつていったのだが、そんな中に、ロック界の大御所、内田裕也うちだゅうやがいた。彼を知って驚いたのは、まず、すっごくモテる、ということだった。女にサービスしてモテている男はいくらでもいるが、彼はその反対の、まったく何もしないでモテる男だった。さまざまなミュージシャンを見た私だが、これこそ最高のモテ男、と確信したのが彼である。けっして男前でも美声でもない。どちらかというと犯罪者面で、声もボソボソしている。なのにいつも美女連れ、それもわけあり、といったふうだ。聞こえてくる噂も華やかなものばかり。ひにじ彼が女を魅きつける秘密は、どうも、その体から凄み出る気迫に原因があるようであった。黙ってすわっていても、なんともいえない存在感がある。一緒にいる普通の男は負けてしまう。いくら女に親切にしたって、この、レコードの骨折り損というものだ。まさに存在感だけで女が参ってしまう男、それが裕也対叫械であった。大明神、私は、彼にはいつもこの称号をつけて呼ぶことにしている。実は、彼は怒るとものすごく怖いのである。底丁片手に殴込みをかける、という恐ろしいことをやってのけたりする。それで崇りたたを恐れて大明神などと一-一一口うのである。彼は、私がやっていたライブハウスにしばしばきていた。といっても、ロカーである彼がジャズに殴込みをかけてきたわけではない。ただ飲みに来ていただけである。いつも何人かの子分と女たちを連れて、態度は穏やかだが、何かこう、捕まえておかなければ軍鶏のように地面を一蹴り、今にも爪を立てて飛びかかっていきそうな印象があった。事実、周りの気の弱そうな男たちは、絶えずピクピクしていた。「手のつけられない暴れ者」とか「権力に対して徹底して反抗する」とか「束縛が大嫌い」といたけだ吟うような、猛々しい評判が耳に入ってくる。一度、彼の子分が彼の主催するコンサートに連れていってくれたことがあった。次々に出てくぺたるパンドがド下手もいいとこで、気分が悪くなり「帰る」と言ったら、その男が泣きそうな顔で帰らないでくれと頼む。,,品,易、,もう必死という形相なので、驚いて、どうしてそんな顔をするんだと聞くと、もうすぐ大明しゅりんら舞台から手裏剣が飛んでくるかもしれない、などと言う。おほとんど怯えている感じで、手を掴んで放さない。